自分 の 感受性 くらい。 「自分の感受性くらい」

茨木のり子:自分の感受性ぐらい

ただ、機嫌をコントロールできない自分が未熟なせいなのだから。 読み終わった後に、一緒に手をとって歩いてくれるような、何とも言えない心強さを感じられる。 ) わたしが一番きれいだったとき わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがらと崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったとき 誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね 出典:. 毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。

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茨木のり子の詩、自分の感受性くらい

笑顔で優しい雰囲気のご婦人、穏やかなで素敵です。

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「自分の感受性くらい」〜心打つ、茨木のり子さんの詩

茨城が紹介される文脈はどうしても 戦争経験者であり、戦後の苦しい時代を知っている人の言葉としての 紹介になりがちなのです。

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茨木のり子「自分の感受性くらい」感想

20代で結婚、詩作をはじめ、1953年には詩人・川崎洋からの誘いで、「櫂 同人誌 」の創刊にたずさわりました。 そして身体に取り込みたい。 音楽も芸術も統制された。

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茨木のり子・感動の詩

だからこそ「他人のせい」にしていることが多い。 5.最後の2行に圧倒された。 逆に「他人のせい」にしているときはそれに気が付かず改めようとはしない。

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【詩】茨木のり子「自分の感受性くらい」がマジしみる ぱさぱさに乾いていく感性を持つビジネスマンへ │ 音楽とビジネスのブログ

ぱさぱさに乾いていく 冒頭のぱさぱさに乾いていく というのが非常にしっくり来ています。 それができるから、 ただうわべの楽しい部分だけを見て 本質を避けている大人にはない、 芯の通った 「本当の大人」に なるのだと思います。 おかしい、と思うものには「おかしい」と声をあげ、今の時代を当たり前だと思わず、自分の感性を信じ、人間らしい生き方を模索し続けた。

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茨木のり子の詩、自分の感受性くらい

実際、利用者の方から本の所在を尋ねられた際、すぐに棚に向かわず「文学のシシュウでしょうか?手芸のシシュウでしょうか?」と確認したことがあった。 (誰もが持っている「公」の反対語として「私(わたくし)」のようなニュアンスだろうか。